taka6021のブログ

腕時計に特化した専門知識と、持ち前の霊感を生かし、面白おかしいイージーの日常を書いていきます!

あの日から6年、、、忘れることなく進んでいこう!

 

こんにちは。

 

イージーです。

 

今日はかなり重めです。

5分くらい読むのみかかります。

 

皆さんは、今日が何の日かニュースを見なくても日にちをみれば記憶が蘇ってきますよね。

 

ちなみに僕は、被災者です。

 

その当時、福島県のいわき市に住んでいました。

 

高校生でしたね。

 

その日は、たまたま学校が早い日で家について実家の犬と戯れていた時にあの震災が発生し辺りは混乱と恐怖に覆われました。

 

電気が止まり、ガスが止まり、水道が止まり。

 

ライフラインと呼ばれるもの全てが機能を停止し、地面は裂け、雲は形をいびつなものに変え、山は崩れ、原子力発電所は爆発し、よくないことがたたみかけるように襲ってきました。

 

そして、僕が住んでいたいわき市で最も影響を及ぼしたのは津波でした。

 

何十もの家屋が流され、そこに住んでいた人たちの面影すらも一瞬で飲み込まれて無くなりました。

 

お世話になっていた人や、友達、後輩、みんなみんな。

 

ほんの数時間で、今まであったものが根刮ぎそこから消え失せたんです。

 

想像できますか?

 

少なくとも当時の僕はそんなこと想像もできませんでした。

 

この手が届かないところにみんな行ってしまったんだと言う喪失感だけが残り、呆然としました。

 

幸いなことに僕の実家は、次の日にはライフラインが戻り、通常の生活とは程遠いですがなんとか復旧の兆しが見え始めました。

 

しかし、町では水も電気も戻らず苦しい生活を余儀なくされた人たちで溢れかえっていました。

 

そんな人たちがいるのに自分だけ過去に縛られて何もしないのは間違っている。

 

そんな感情に突き動かされた僕は、なけなしのガソリンで車を走らせ、樽いっぱいに汲んだ水と食料を公民館などに避難している人たちに配って回りました。

 

正直、感謝されようと思ったわけではありません。

 

何かしてないと自分が狂いそうだったんです。

 

しかし、向けられたのは感謝ではなく妬みでした。

 

なんで俺たちは苦しんでるのに家は無事でライフラインも繋がって満足な生活をしてるんだと。

 

僕はそこで本来の人間の姿を見た気がしました。

 

人間て不便な生き物ですよね。

 

表情に出てしまうんですから。

 

語らなくても顔をみれば考えてることはわかります。

ましてやあんな状況に陥ればなおさら普段抑えてる感情なんかはすぐ決壊してしまいます。

 

それでも、僕は支援物資を配り続けました。

 

それが僕にできる唯一の自己満足だったから。

 

しかし、よくないことは次々に起こるものですね。

 

原発の被害が拡大し、原発から30キロ圏内の人間は避難勧告が出され、その距離は日に日に拡大し、50キロ圏内まで広がりました。

 

僕の実家は、それでも圏内には入らず、逃げなくても良かったのですが、友人たちはそうはいきませんでした。

 

東京方面に親戚がいるものはそちらに続々と非難していきました。

 

住み慣れた町を離れ、違う土地で生活するのは本当に過酷なことです。

 

そして、僕にとって一番癇に障ったし、人間の浅ましい部分、醜い部分が顕著に出た出来事が起こりました。

 

非難した友人の車に『被爆者』とでかでかとスプレーで描かれた写真が僕に送られてきたのです。

 

本当に悲しくて、悔しくて涙が枯れるまで泣きました。

 

原発の本当の情報なんて誰も知らない。

もしかしたら現地にいる人ですら把握できていなかったのかもしれない。

 

でも、それでもあんまりじゃないですか?

 

心ない一言で人は簡単に落ちます。

深い闇に津波のように飲み込まれるのです。

 

それでなくても心身ともに疲労し尽くした状態で命かながら逃げてきた人たちに対し、くそったれな人間の部分が容赦なく襲いかかってきたら壊れますよ普通。

 

それでやっと助かった命を自分で絶つ人もいましたよね。

 

殺人ですよ。

 

のうのうと今も生きてるんですよね。

自分が犯した罪の重さもわからずに。

 

謝らなくてもいい。そんなものはいらない。

一生その罪を背負って生きてください。

 

僕はそう思います。

 

そのあとも、原発へ復旧作業に来ていた人間が、車の中で喋っていたカップルの男性を殴り、女性を犯すという事件も発生しました。

 

本当にクソくらえですよ。

 

人間てこんなに醜いんだって心の底から思いました。

 

こういった事件たくさんありましたよね。

 

あの震災から何年か僕は軽度の人間不信に陥っていたのかもしれません。

 

就職してからも福島出身て言うと当時は大丈夫だったのかと聞かれます。

 

正直もう慣れましたが、最初の頃は思い出すだけで吐きそうでした。

 

テレビでは毎年この季節になると取り上げますよね。

 

もうやめてほしいです。

爪痕を忘れないためにとか心の中に刻み込んでとかそんなことをしなくても一生を忘れないですよ。

 

忘れられるわけありません。

 

もうみんな前を向いています。

時には立ち止まって下を向くかもしれません。

 

それでも靴のつま先、つまり、もう今立っているところよりも先を見ているんです。

 

僕たちは今を生きています。

過去は忘れない引き出しにテプラーで印をつけていつでも思い出せるけど極力開けないようにする。

 

この世は理不尽で溢れているけど乗り切った僕たちならなんでもできるし怖いものなんてないよ!

 

だいぶ長くなっちゃったのでこの辺で!